2015年8月25日火曜日

案ずるより産むが易し

僕はどんどん自分の弾くギターが自分好みになっていってる。毎日、亀の歩みでも。

イ エ ー イ ( 笑 )


2015年8月21日金曜日

表現家に成りたいということ。

毎日1ミリずつくらい、3歩進んだと思ったら2歩下がり・・。

でもやりたいことは見えてる。


使う楽器もこれで間違ってないことがわかったところまでは、きた。


もっとギター弾けるようになりたいよ~!!!!


おんがくを

演奏できる

プレイヤーになりたい。


たとえ1ミリでも。少しでも、いい音楽を演奏したい。


メロウさとスリル。自分の全感覚を捧げて、この両極に対してチャンネルできる自分で居続ける覚悟。



この上ない優しさも在って、そのすぐ裏に誰かを殺しかねないよう緊張感も背中合わせに在る、


そんな演奏家で居たい。


それを、ぼくは、

『バップのメソッド』とか、『ダイアトニック理論の解釈』だとか、ではなく、

あくまでも、この『エレキギター、っつう楽器』で、やりたいのです。


スライドやグリスするときのノイズの含有率だとか、弦の死に具合に対応して変わってくる両手のタッチだとか、の方が、重要。


話がしたいんですもん。エレキギターっつう声を使って。音楽っていう表現で。














2015年8月13日木曜日

毎日セッションしとるんやなぁ、と。

最近もっぱら、YOUTUBEに無数に在るバックトラックとジャムってる。ほぼ毎日。

これ、世界中のいろんな奴がこういうオケを録音してアップしてくれててさ。

これってつまりジャムセッションなわけ。

世界中のヤツらとの。


地元の、持ち駒の中であーじゃねーこーじゃねーって、やるのも、

まぁもちろんそれはやっぱ掛け替えのない楽しさも価値もあるだろう。

んでも俺は今なんかそういうんじゃない。今は、だけどもね。


まーとりあえず今はひたすら研鑽。


一生涯を通して、やっぱ通用するプレイヤーで居たいなー、と。




Yes, I am. HEAVY METAL STYLE

まぁこれも自分の重要な要素。

この歳になったからかな、もう堂々と解禁できるというか。

なんだかもうスタイルなんてもんはそんなこと言ってるほうがよほど恥ずかしいよお前、てな具合の脂の乗った年代に差し掛かってきちゃったんでさ(笑






2015年8月10日月曜日

僕は、音楽の本質はJAMだと思います。

僕は、音楽の本質はJAMだと思います。

そしてそれは、何時の世も、

いちばん研ぎ澄ませた自分でなければとても太刀打ちできないような場所で。

いちばんそれが起こっているイノベーションの最先端の現場で、在るべきだと、思う。








2015年8月5日水曜日

ほんじつの練習


ドリアン・モード風アプローチの練習と、自分の立ち位置。

これはいま中途半端に手をつけてわかったような気になってしまうと非常に厄介かな・・。

だからまぁ、あくまでも”風”で。今はね。順番があんの、ちゃんと自分の。今は俺は自分なりの正攻法で順序立てて練習、研鑽しておるのですが、その覚悟と順序立てこそが最重要なのです。

闇雲にあがいている訳ではないのです。


僕は理論の解釈を避ける気持ちは、ないです。

ただ、ソッチ面をばしーーーーっとやって、確かにソッチ面の理解と実践を出来ていたとしても、なんか・・たどたどしくて、音楽として死んでいるものはできれば、あまり演奏したくない。

それだったらば理解度とかは怪しくてもちゃんと流麗で音楽として説得力のあるものが好き。

あと最大に重要なのは俺は歌心でやりたいなー、と。

コード進行感、ドミナント解決感、そのあたりを単音の音列でも『感じさせること』を目的として弾くのは、スパイスみたいなもんでいーんじゃないかな?と思っています。

まぁこの話は深くなるので興味がある方は僕のうちに呑みにきてください(笑)

いつでも大歓迎!!!(^^)

熱くギターを語らいでか!!!


ギターが弾きてぇよおおおおおお

・・・っていう。もう俺のやっていることは、そんだけ。
極限までシンプルに絞ったの。目標というか、決着なんですよこれは。

良いギター弾きに、なりたいし、なってやんよぉ。




2015年8月4日火曜日

世の中は、ボカロまできてる。

世界中の、才能のある怪物たちが一切のヒューマンエラーや妥協の介在しない世界で己のパーフェクトをプロデュースしている。そして即時発信し、世界のアンテナはそういうところを指している。

世界の勝負はもうそういう次元。


だから、いまいちど。

僕は、自分には才能があると信じてみる。

それがなかったら意味がない。


だって、人に見て欲しいならそれはやっぱり優れているべきだ。


だけど、その為には才能を努力で掘り起こして、磨き上げて、発揮させるしか道はない。


大人になればなるほど、負けを認めるのって困難になってく。


そんな弱くて女々しくてみっとうもない自分を打ち消すものはただひとつしかない。


毎日、毎日、毎日、今日はなにをやったか?なにをやらなかったか?その積み重ねしかない。


それでも負けたなら、それでも自分は凡人だなー、って思えたら、負けても気持ちがいいと思う。


結論が出るのは俺の人生のそうとう終わり頃になるだろう。だから、今日とか、明日とか、来週とか、来年とか、再来年とか、そういうスパンで満たせる自己承認欲求とは少し距離を置いて。

自分、この人生を終わる時に、

そこになんかいっこ自分だけの誇りがあったら、いいかなーと。