2017年8月31日木曜日

ふつうの練習。

ふつうのれんしゅう。

おもろくもなんともないよ。
こういうのをこういうふうにネットに出せちゃう時代になった、

っていうだけで。

ふつうのれんしゅうは、ふつうのれんしゅう。

ただこれはやってないとはずかしいから証拠として、さ。ただそれだけ。の意味。

自分への記録だから。



れんしゅう。してるー?してないやつは、わかるし。


相手にしてあげる、時間が、物理的になくなってきちゃうのです。これは僕の悪意もクソもない、ただの現実の部分なので。どうかそれだけはわかってほしい。。。。。。



ぼくは、弾いてるよ、っていう。毎日だよ?っていう。

ただそれだけのはなしでした今日は。





2017年8月28日月曜日

ちょっと心と身体を作りなおしています。


衝動!!アイデア!やる気!エナジー!勢い!楽しさ!!!

それは万人に平等に与えられるチャンスです。

俺はけっこうそういうのは最大限活かして、いろいろとわんさかがやがやとかきまわして、やった!!やったった!!そうやってけっこうやってきた。

そこは自負もあるし後悔なんて1ミリもない。


ただこれからの僕はそういうのとはちょっと違うのかな。きっと。


あまりにも、やろうと願ったことに対して中身の魅力がついていけてなかったので。

中身をいまさらだけど磨かないとな、っちゅう思いが今はすごく強い。

そこはでもさぁ、今更も、遅いも早いも、あんま関係ないかなーて。楽観。




結局なんでと問われればやっぱり好きなんですよねたぶん。


好きなことくらいは・・・なんつうか。

好きだからこそ、かな。

一歩引いて、俯瞰して、

もっともっともっともっともっともっともっともっと、これじゃだめなんじゃないのか?

って自分に疑問符だけを叩きつける時期があってもいいと感じた。

好きな相手に対して心の余裕が出てきたってのもあるだろうし、

結局はもっともっともっともっともっとっもt・・巻き返してやりたいし。


やっぱり何年だか、はたまた何十年だか、音楽や楽器を趣味にしてきた人間の演奏て、たとえそれが生業ではなく趣味の範疇であったとしても、やっぱり今まで楽器なんかやろうと思った事もない人達に対して、

ちょっと、足を止めさせるくらいの事はできないと。やってる意味が、僕は、だけど、ないなと思って。

ちょっと心と身体を作りなおしています。








ジム仲間とのスパーはおわってしもた

それはそれは・・、たのしい年月だったけど。

象徴である舞台をいっこ潰してしまったしね俺は


あとはもう自分がいきのこれるかどうか。その精一杯が、じぶんの誠意一杯。


回ってきたツケみたいなもんでこれは。清算はしないといけない。


もうケツだけは決めた。僕は音楽人として墓に入りたい。


2017年8月24日木曜日

YES! I am ギタァァァァァァリスト。

もう、どうせだからさ。

ギタァァァァァァリスト。

に、なってやろうかな、とか思い始めている。


なんか、ただひたすらに、

ただただ、ギタァァァァァァリスト。だよ。っつう。
誰にもご面倒もご迷惑もかけずに。ただただひたすらに、ただ、ぼかぁ、

ギタァァァァァァリスト。なんですよ。っていうだけの。


やれ、
バンド組んだんで観てください褒めてください
ライブやるんできてください褒めてください
オリジナル作ったんで聴いてください褒めてください
CD作ったんで是非聴いてください評論してください
こんどのライヴ、新曲もやるんで来て下さい!!

・・・etc,etc。

みたいな。

そういった様な、それはそれは多大なる迷惑を周りの人たちにかける存在には、もうなりたくてもなれないようなトコロに。年齢的にもキャリア的にも来てしまったし。



ちょっとしばらく、音楽とだけ向き合ってみたいな・・・と思い始めている。




ギタァァァァァァァァァァァァァ

どうしてそんなにえげつないのだろうかこのギタァァァァァァァッァァァアl

とかいうやつは。


僕はもう秋を見据えている

今年の、じゃねーぞ(笑

人生の。ですよ。


秋は収穫の季節。春や夏に何をやっていたか?

残酷なまでにそれだけが現れる季節。何が実ったのか?何を収穫できるのか?

はたまた、遊んでいたので畑はサラ地のままなのか。


そんなのがそろそろ僕にもやってくるから。


もう夏は終わっている。




2017年8月21日月曜日

音楽は毎日できる

舞台のために用意するものが音楽じゃない

音楽のために用意されるのが舞台だ。


たんじゅんなのになあ

自分にうそついてもばれるよ


2017年8月17日木曜日

優しくも丸くもなりたかない。

俺はファイターでいることをやめない。

そんじょそこいらのタマじゃないぜ。

迎え撃つのは常に、難敵なのですから。そういうのを求め続けているのですから。


優しさなんて それこそ

言動じゃない部分でやるべきでしょ







負けず嫌い、勉強嫌い。

コードは枯葉のサビを借りてきて。それを少し、現代的な唄ものPOPSにもなりそうなかんじに再構成。アドリブは所謂Jazz論法では弾いてない。ブルースの手法かな。
ていうかあの弾き方は俺は出来ない。憧れてないので。あれは作業ゲーだという認識。

でもあの論法の演奏で素晴らしいものが星の数ほどあることもまた知ってる。だからそこの部分は俺は争ってもいないけど勝ってもいない。それは確か。


負けてる自分を正当化しないこと。
知識でも感情論でも応戦しようとしないこと。

そうやって結構ながい時間音楽やってきた。

別に訓戒めいたものではない。

美学やねんな。







2017年8月15日火曜日

My Way

ゴーイング、マイ、ウェイ。

なんか、それだけだな~~。

とか。

正直、思ってしまった。



なんかさ、あれを思い出したよ。立ち食いの、いきなりステーキ だっけか?

あんなかんじ。





いろいろと試行錯誤はあるが。

やっぱりアウトプットってのは本気でやったら、

クソダセぇものも絶対にあるはずなんですよ。

それはもう絶対に、絶対に、絶対に。ですよ。


そういうものを巧妙に見せないようなやり方は自分には合わない。

そんだけですよ。


この話は難しいのであまり気にしないでオーケイ。




2017年8月10日木曜日

僕はミュージシャンです。

墓に入るときにそれだけは胸張っていいたいなって。もうここまできたんなら。せっかくなので。

ないものをあるようにみせることにいっしょうけんめいになるような人生の使い方もなんかしょうがないし。かっこわるいしさ。

なんか舞台がないと成立しないようなものにはどんどんどんどん興味がなくなっている。

証拠なんて自分の音楽の愛の熱量と力量の中にしかあるわけないじゃん。っていう、若者ウケはしない考え。

自分に嘘つきながら死の床でポエムなんて吐きたくない。


おれはかっこよさを求めて音楽とかに恋をしたのでその恋心は貫くよ。




軽めのやつ

ちょっとこれは説明はいいや。今日は。
荒れそうだから。






カッティング、とな。

たかがカッティング。されど・・ なんつって。

TWITTERでここ何日かカッテッィングほにゃらら、というタグのついたギター動画をけっこう目にした。僕はツイッターはここ半年くらいなるべくそういうのがTLに流れてこないような使い方をしておるのですが、それでもごくごく幾人かの尊敬できるギタリストアカウントからのRTという形で、いろんなそのカッティングほにゃららをつい見てしまった。俺でさえこれだけ目にするんだからそのタグ参加者ぜんぶは結構膨大なものがあるのでしょうね、きっと。

さてそれで。

なんかその動画達のプレイ、フィジカルエクササイズみたいなのがほとんどで。その事が印象的でした。
カッティングっつうととにかくオンタイムで整然と・・みたいなアプローチが先ず前提として支配的なんだなぁ・・と。

僕はカッティングというのは正直よくわかってはいないのですが、なんせ、性格がものすごくルーズだしリズムというのを時にはギターが引っ張るような、ダイナミズムを持った音楽は僕が物心ついてギターを手にしたた頃にはもうすでにほとんど瀕死に近い状況でしたし。人間の演奏によるものであれ、電子的であれ、とにかくビート、BPM、というのが俺が生きている時代の音楽の主流のフォーマットでした。

ただそんな中で、なんとなくですが、カッテッィングっていうのは、音楽の一番根源的なアプローチ法なのかな・・?っていうのはなんとなく最初から感じていて。あんまりそれをテクニックとして捕らえてはいないけど、なんつうか、言葉ならばそれこそ やぁ、とか、 あの・・ とか、 えーと・・とか、 つまり・・ とか。
なんかとりあえずコミュニケーションを維持して発展させてより深いやりとりをする為の、とっかかりというかその人のクセみたいな、ものかなぁと。


文章にはうまくまとめられないですねやっぱりこういうのは。
なのでなんかそんな気持ちになったよ、という事に関連?してるかどうかはわからんけど自分の演奏記録をひとつ貼ってみます。


これは、俺の音楽に対するスタンスがすごく良く現れてる演奏記録かなー、と。
自分の結婚式の2次会ですね。普段はアコギ抱えて独自に活動をガンガンにやっておられる我が奥様と、珍しく競演しています。この2次会は僕ら夫婦ともども人生中でめぐり合ったいろーーーんな音楽人にたくさん来ていただいて、それぞれに演奏をしていただいたり、セッションをしたりと、豪華ライブみたいなかんじだったのですが。んでも結婚式ってさぁ、挙げるってなるとなんか知らんけどやたらやることとか準備とか決め事が多くてさ。そういうことに忙殺されません?
そんな訳で僕ら夫婦もこの2次会の事までについてなんて、ほとんど準備なんてできるはずもなくて。

この動画でベースとMCしてるのがちょいと縁のある音楽仲間で(でも競演経験はない)、その彼と電話で曲目とキーだけ決めて、あとはこの日この場でそれをやってみた、というのがこの動画です。ドラム叩いてるのは僕の直接の知人ではなくベースの彼が引っ張ってきてくれた旧友。僕はこの日初対面。この4人で、この演奏曲目をこのキーでやろう、ということだけは決まってたけどそれをはじめて実行したのがこのガチ本番つう。当日リハすらない。正真正銘、セッション。

そこで、こういう瞬間って、それぞれに音楽を持ち寄るしかない訳じゃないですか。
それぞれのミュージシャンシップをさぁ。

相手の出方からわからないんです。どういうテンポやシンコペーションやつまりはグルーヴ?の解釈をみんながしてくるか全くわからない。

しかもミュージシャンを職業としている訳でもなければ、その己の精神力人間力気力体力の全てを音楽のクリエイトに投じている訳でもない、僕と同じような、先ずはまっとうに就業をして賢明に自分の生活を成立させて、その上で、僅かに余った余力で音楽を楽しもう!!っていうだけの、素晴らしき、たかが凡人達がやるセッションです。
先ずは探って、ガチャガチャならガチャガチャで。ワチャワチャならワチャワチャで。
やるならやってみて。

そこでさ、まぁ楽器が好きなら好きで。音楽が好きなら好きで。

なんかちょっと、ポンコツでガタピシいってる何かに挿す機械油じゃぁないけどもさ。

そういう時にどうするか?というと。

そういう時にほんのちょっと使う機械油みたいなのが、名前が必要ならば呼ぶならば
『テクニック』であると思います。
それはカッティングというか、速弾きというか、ミュートというか、チョーキングというか、ビブラートというか、まぁ細かくジャンル分けしてもしょうがないものの全体ですよね。
そしてこの動画でも当然そうなんですが、音色、なんていうものはほんと。機材でマネジメントなんてできないですよ。あのさぁ、機材なんて、アンプとかさ。ほぼほぼたいていの場面においてその場にあるものでやるわけです。そん時初対面の。その演奏場所のその演奏時間のその場のリバーブ感、壁からの跳ね返り、場所全体の鳴り、その場に居る人間の数でも簡単に激変するんでっせ?
そこは応用力を身につけるよりベターな方法はないのです。だからぜんぶ、

会話なんですよね。

そこには、誰かひとりの思い込みとか美学とか高揚なんて、絶対に現れないのです。
出てくるものはそこに居る人たちの会話なのです。













2017年8月8日火曜日

誠実で居たい。

じぶんに対して誠実でいること。
自分の生きてきた時間をリスペクトすること。

嘘つかないこと。自分にだけは。ぜったいに。

そうやって自分のアウトプットに対して、ただただ誠実でいる自分。

それ以外の事を考えている暇なんて、今までの俺の人生には一度もなかったな。
それは今後もずっとそうなんだと、思う。

変えようと思ったとしても変えられないだろうけどもさ。


俺は自分が憧れた自分で居れてるか?


もう今までずっとなのはもちろん。今後も死ぬまでずっとおれにはそれしかないんだと思う。



僕の音楽の目的

僕はもう決して若くはない。
だから、すぐさま、これでどうこう、っていうのはないんだけれどもさ。
だ、けれども。。

なんか、じっくりこれはやったらええんちゃうんかな・・・?

みたいな感触は正直・・・ある。あるで。
なにをかくそう僕の音楽の目的はもうただひとつに定まってるからね。


それはね、

やめないこと。

これがいちばん難しい、究極の壁だからさ。
そろそろ、いや、ずいぶん前から、もう自己満足とか自分の青春日記の1ページ、としての音楽との向き合い方では意味がないな・・・というのがあって。

僕は音楽家になりたいんだよね。せっかくここまでお世話になってきたんだから、その、ケジメとして。そのケジメつけらんなかったらなんか男としてどーーーーーーしょもなくカッコわりぃな。って。

ただただ、好きなんでやってただけでーーーーーーす。

みたいなところにコロコロ転がっていくの?俺の魂は。

それはダセぇよ。

俺はやめない。音楽を。やめないつうか、はじめる。

暴走族みたいな そういう音楽や楽器との接し方なら、とっくに済ませてあるもん。中学、高校、ぜんぶ全力で捧げて、そして20代のほぼ全ての時間と感性とエネルギーを。


自分の人生を味わい深いものにし続けてくれた、音楽っていうものがさいきんようやく自分から、冷や汗、脂汗、または加齢臭??・・みたいなものとしてだけど。

なんか出始めているかも、しれない。


2017年8月7日月曜日

2017年8月1日火曜日

ギターのかっこよさとは?(シリーズ ひとり)

なんかやっぱり、懐刀のかっこよさ。これなんじゃないかなーと。
さいきんでは思い当たりますね。男として。

男として。ですよ?

目をひんむいてでっかいハンマーを振り回して常にギャーギャーと目にするものの全てを威嚇して歩ってるようじゃダサイですやん。男は。


それよか有事の際にはちょっとだけジャケットをひらいて腰に光るドスを見せたらそれで終了、みたいな。そういう美学はありますねやっぱり。


そのドスの輝きと、それを見せる時の全く平静そのものの涼しい身のこなし。

それを準備する為にまいにちまいにちちょっとでもギター弾いてれば。

それで幸せ、みたいなとこある。なんか。


俺の場合は俺がやらなくても奥さんとか、その奥さんの活動を中心にして今まで知り合えた後輩達がすごい活き活きとこの街の音楽は盛り上げて楽しんでやっているので。
そういうのを近くで見れているだけで幸せ。








失敗例。(シリーズ ひとり)

これ、即興バッキングはものすごい良いんじゃないか?とおもえるのに。
アドリブが残念。
メロディをやろうとしてないよね。雰囲気だけ。音数だけ。最低レベルや。

言い訳はいくらでもできるけど。


まぁつまり音楽には理論的な正解・不正解なんていうものとは別に、いちばんのキモとして、成功・失敗があるっつー。

成功・失敗
これもっと正しい言葉で言えば 

いい か わるい か。

この動画記録はとってもわるいと僕は思ってる。

でもこういうのがないと前進出来ないときも多々あり。

僕は天才ではないからね(^^)







音楽を愛そう。(シリーズ ひとり)

音楽を、愛そう。

だってその愛は裏切られる事がないのだから。
裏切られる事が絶対にないはずの事くらいは、

誠実にやったらきっとすごいおもしろい。

いいときもあれば、悪いときもあるさ。

ラッキーもあれば、失敗や後悔もある。

人生いろいろなんてそんなん当たり前。


だから音楽くらいは精一杯誠実に好きでいようと思える。
もう、それで人前に立って目立ちたいとかちやほや褒められたいとか、そういった気持ちから最も遠いところにその輝かしい入り口はあったんだなって。やっと。いまさらだけど。

ずいぶん回りくどい連続トラップの地獄みたいだったけど。

自分が輝けるからたのしいんじゃないんだった。


たのしいから、たのしんでたらより深くたのしめるし、

そうしているひとがかがやいてるんだなと。



シリーズ ひとりでできるもん!

バッキングをその場で自前で用意してアドリブをかます。
ここ2週間くらいこれやってる。

いくつか連投する。