2014年2月28日金曜日

ライフワークの緑撮り。

この上なく癒える。これに極まるよ。

安っぽい自尊心なんぞ。なにをかくそう俺だってたんまり持ち合わせてるけどさ。

んだけどそんなものの何倍も何百倍も。持って居なきゃいけないものが、

衝動と、誠実さ。

俺はいーかげん、それくらいはあるんだろうなとは思ってる。撮るのが幸せ。

じんわりと。癒える。毎日。

写真機っていうしくみがすきなんですよね、きっと。

煙草みたいなもんなのかなーと。煙草。意味なんかどうでもよくて、ただ自分を癒す行為で、ただ辞められなくて。別に辞めようとも思ってなくて。それは依存だったり中毒だったりいろんな意味や概念を与えるのが好きな人には100億の言葉が作れるんでしょうけど。


僕は緑を撮るという行為がとっても好きだけど。


地球における『緑』の意味!

とかはてんで、まるで、まったく、この趣味とは関連づけてないです。おもんなくなっちゃうよ。そんなんしたら。













2014年2月26日水曜日

フジフィルム、FinePix X100で、本日。

なんかまだ考えあぐねいている。このカメラとの向き合い方。

わかってるんだけどね。踏み込めない理由は。

はっきり言って使い切れないんです。手に余る。ぜんぜんマトモに能力を引き出してあげられなくてカメラに申し訳ない。そんで自分がカッコ悪い・・・。凹む・・・

・・っていう。

それは僕がまだいろんなフォーマットを浮気しまくってるから。ほんとうは、このカメラって、これ一台で写真行為と向き合って、寄り添って、生きていこう。と。

ほんとうはそんなくらいの覚悟で使わないとそのポテンシャルに向き合えないカメラなんかなーと。いう気はしてますけれども。

臆病で、しかもとてもとてもまだまだこの世界での自分のやってきたことになんて自信も持てない僕は、今はまだいろいろと寄り道しながら、ひとつひとつ、実感として自分に刻み込んでいきたい宿題が山積み。

『光を、捉える』

と言うことを。

『写真を、撮る』

と言う事を。



他ならぬ自分自身で、やってみたい、と感じて、やると決めた事を。


それをやる上では、今はまだちょっと、ちょうど自分の能力に見合った、制約の在る系の中で、いろいろと試して実践して理解していきたい事があって。いまはまだそれが面白くて面白くて。


だからまだこの写真機には、怖くてマトモに向き合えない自分がいる。














さいきんのpro1









さいきんのS50

ここんとこやたらと肌身離さないS50。その能力をぐんぐん再確認しつつ。疲れてなんとなくルーチンになってしまっていたDPPでの仕上げが改悪でしかないと気づく。
なので数日前にアップしたやつも1~2枚やりなおしてるかも。