2012年10月6日土曜日

僕とモノクローム。

例えばこの自分のblogなどに。モノクロ化した写真を載せる事が前よりもあきらかに多くなっていると思う。

僕はこの場所(このblog)には自分の写真の最もプレーンであり、同時に、もっとも完成稿と呼べるものを載せているつもり。それらを元にしてモノクロ化や各種エフェクトアプリをかましたものなんかをSNS系の場所に投稿したりはするけれど、それらは遊びとか広告とか実験的な意味合いの二次加工。スピンオフ的な感覚。

暫く前までは僕はモノクロをやるとしたらその二次加工的な意味合いの中で、がほぼ全てだったんだけれども、最近はこのblogに載せる段階で既にモノクロ化してあるもの、もっと極端にはカメラ側でもうモノクロ画像として撮影してあるもの、がさいきんすごく増えてきた。


これは何故か。


まぁ素直に単純に云えば、モノクロ写真の味わいみたいなものを前よりもほんとに楽しめるようになってきたってのがもちろん。

もう少し突っ込んで云うと、

写真に於いて、色味なんていう要素はどーでもいいな・・・。っていう気持ちが抑えきれないほど強くなってきている。

結局、色は目玉で感じるソレには叶うわけないと思うんです。その時に肌で感じてる外気温やら、匂いやら音やら、なんかそういうものと切っても切れない一緒くたなもののひとつ・・・・・とでも云いますか。
んでやっぱりそういうものの再現ってテクノロジーでは絶対に完全には無理だと思いますし、そこの再現が写真機の役割ではない気がしますし、ましてや、再現性の追求すらも放棄してそこでテクノロジーを用いて誇張や都合の良い嘘なんかを一生懸命やられたとしたら、少なくとも自分はそういうやりとりが行われる表現ジャンルには興味がなくなってしまうし。

写真て、

もっとざっくり明快に、力強く、それでいて繊細に奥深く、いけるんじゃないのかな?って。

なんかそんなヒントに一番近い気がしています。

今現在の僕にとってのモノクロ写真とは。

模索を包み隠さずなるべくそのまま記しておきたかったので混乱した文章になっているとも思いますがご容赦を。













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