丸々3年間、全てを投げ打ってクソ真剣にこの趣味に心を預けてみました。
そこから見えた答え。
自分なりの、答え。
とにかく、日々を撮ろうと。
ただそんだけなんです。
アウトプットよりも先ず『撮る』という行為。
そこが純化してないと、結局消えて無くなってしまうんじゃないかな?
大事な気持ちが。
そしたら当然、撮った結果とかそんなものは。なくなるとかなくならないとかの前に、先ず存在してる意味が無い。ですよね。
アップロードという価値観とは、上手に付き合っていかなくてはなりません。
言い換えれば、見せるという行為とは、ってこと。
焼くとか、プリントするとか、展示だとか。
結局は言葉を変えただけで、誤魔化してるだけだと、そんな気もするので。
んでも、ひとつ、その付き合い方の指標となる本質は、自分の経験の中から出来上がってきたので。
今はすごく余裕があるというか。怖いものはないです。
もともとが、そんな大それたもんじゃあ、ないんです。
僕は、傑作なんか撮りたいとおもわないよ。
写真とは、
凡作であるべきなんです。
そもそもが、相容れる筈が、ないんですよ。
写真て。
他人様(ひとさま)に、見せる、なんていうこととは。
写真て、そんなものじゃあ、ないよ。絶対に。
見せたい
なんて、そんなもの。
先ず、撮る事が先でしょう。
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