2013年12月7日土曜日

感度と空気。

ISO400が実用的に思える描画をする。むん。
まぁまだ、油断はならない。とは思う。
だってノイズが消えてるなら他にも失われている光はあるんだと、なんかどっかで感じ・・・・・・・

ないけどねこんだけ立派だと。

ただ不信感だけは持ってる。













2013年12月6日金曜日

筆さばき、習作。

んまぁ絵の描き方だけ日々鍛錬していればさ。

筆やカンバスのクオリティとかは放って置いても勝手に時代につれて良くなっていくに、決まってんだから。
そんなの、撮り手がそんなに気を揉むような事じゃないんだろうね、ほんとは。


なんかつまんなさやアホ臭さを超えて息苦しい。と感じる瞬間が大いにあるのよね、このクラスタリングに所属してると。


来年はこっぱずかしいくらいにコテコテにシフトしようかな。

作画意図論とかに。


写真なんて偶然性との対峙の中でどんだけ作画意図をねじ込ませられるか?なのになんかそこを語るのご法度になってるような節もあるから。










2013年12月3日火曜日

さいきんのGF1。

僕は猛烈にフィルムへの憧れを抱いています。

フィルムでの、写真行為って、どんなんだったんだろう?
そこでは、一体どんな写真が撮れたのだろう?


しかし、それは決して叶わぬ恋心だと思っています。

なぜならばそれはもう失われてしまったのですから。



二度と返らぬものなんです。




デジタルデータ出力写真機も、ましてやレタッチソフト、現像ソフト、そんなものがこの世に概念から存在しなかった時代。

フィルムによる写真行為というのは、そこにしか存在していなかったと、云うのが僕の理解です。

今この時代に、アイフォーン片手に。昔の銀塩カメラを購入し、使用し、その喜びを語り合う人々・・・。

否定はしません。

ですが、それではないのです。

僕の思う、

『フィルムで写真を撮る行為』とは。



僕はこのパナソニックのGF1というカメラを使うとき、何故だかいつも、強烈に、このフィルムへの叶わぬロマンに駆られます。


ヘキサーというカメラとは、どんなんだったんだろう・・・とか。


時代の中でそれを経験した人。



僕はそういう経験の生き証人達に対して、恥ずかしくない写真行為を。

するしかないじゃないですか。デジから始めたからといって。


僕はデジタルカメラが最初の写真機だったんです。その時写真機はデジタルに移行していたんです。

だから僕が追求するのはこの時代の写真行為なんです。











2013年12月1日日曜日

ほんじつのデイリー拡張編。日没後。

ISO800でそれなりに。雰囲気くらいは撮れる。

ここまでいっちゃうとさすがにエンジンに嘘つかれてる気がぬぐえないんで、、、
まぁ僕のやりたい写真とは微妙に違うけれども。これはこれで。


シャッターを押さないと、とりあえずストレスがたまる!!!!!!

みたいな時には、その欲望の捌け口としては、アリかもね・・。









ほんじつのデイリー。