んまぁ絵の描き方だけ日々鍛錬していればさ。
筆やカンバスのクオリティとかは放って置いても勝手に時代につれて良くなっていくに、決まってんだから。
そんなの、撮り手がそんなに気を揉むような事じゃないんだろうね、ほんとは。
なんかつまんなさやアホ臭さを超えて息苦しい。と感じる瞬間が大いにあるのよね、このクラスタリングに所属してると。
来年はこっぱずかしいくらいにコテコテにシフトしようかな。
作画意図論とかに。
写真なんて偶然性との対峙の中でどんだけ作画意図をねじ込ませられるか?なのになんかそこを語るのご法度になってるような節もあるから。
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